自分は一人旅が好きなのだが、とはいえ旅の中で孤独を感じたり、つまらなくなったりすることはしばしばある。
どこにも行く気力が出なくて、ホテルの部屋で一日中過ごしてしまうようなこともある。
そんな時でも、少しの元気を捻り出して、ホテルの部屋を出て見知らぬ街の中に飛び込めば、そこで出会えるのは未知の風景や食事や人達で、いつの間にか楽しくなって旅に戻ってたりする。
それは人生も同じで、活力がなくなる時期はたくさんあるが、それでも外に出て新しい刺激を受ければ、いつだって楽しいことは見つかってきた。
自分にとっての人生とは旅であり、旅こそが人生、なのかもしれない。
という、人生と旅についてのポエムを少しばかり。
旅こそが人生、かもしれない
自分の人生を振り返って、たとえば5年前、10年前に何をしてたっけかなあと振り返るとき、その時に一番に思い返されるのは、自分にとっては旅だったりする。
自分は旅を起点に、その当時のことを思い返すことが多い。
たとえば、大学三年の時に何をしてたかを振り返ると、やっぱり一番にはインド旅のことが思い返されるし、大学院2年の思い出ではフィリピンとギリシャとイギリスと南米の思い出をまず思い返す。サークルの思い出とかも勿論あるけれど、旅の思い出の方が先に思い出す。
逆に、しばらく旅にいけなかった時期のことは、自分の中で相対的に虚無な時期のようにも感じられる。コロナ禍は自分の中では空白の期間な感じはするし、急に旅欲を思い出した今年は本当に充実している。
自分の人生において「旅」というのは重要な要素だ。
そもそも旅とは何なのか?
そもそも旅とは何なんだろう?
これについて、まさに同じことについて触れている本がある。
この本は、果ては南極から始まり、だんだんと近い旅先をチョイスしていって、最終的に自分の家の中で「旅をする」ことが可能なのか?そんなことを実験する本だ。
この本の結論にも近しいものがあるが、自分なりの「旅」を考えてみると、旅というのは自分にとって「非日常」であり、非日常性があれば自分にとっては旅と言えるし、そうでなければ旅とは言えない、そんな気がしている。
自分が好きなのは旅の中の非日常性であり、非日常性のない旅は自分は好きではなく、それは自分にとっては「旅行」というべきものだ。
たとえば、友人とワイワイとどこかにでかけるのは、それはそれで楽しいが日常の延長線であり、非日常ではない。
でも「サイコロを振った結果に応じて行く県を決める」なんてルールを決めて、急に東京から青森の最北端まで長時間ドライブにいくことになったりすると、急に非日常性が高まる。
彼女といくヨーロッパ旅行とかは絶妙なラインで、旅と言えなくもないし、彼女との日常の延長とも言えなくもない。お決まりの観光コースを巡って予定調和な楽しさを楽しむのであればそれは旅行だし、様々なトラブルが起きたり現地の人と交流をしたりという側面が強ければ旅だと言える。いや、でもやっぱり旅行かな。
こういう文脈で考え始めると、旅ではスマホを使わない方が旅を楽しめるというのも納得できる。
スマホを使ってTwitterやInstagramを開いて、Google MapとUBERで移動して、というのをやっていると、それは場所が違うだけの日常なのだ。
地球の歩き方を片手に、道ゆく人に道を尋ねながら、予想外のハプニングや出会いを楽しむのが非日常性を高め、旅らしくなると思う。
人生に非日常を求める
最近人と話していて「10年後に何をしていたいか?」という話をした。
「目の前のことが楽しければ良いし、その積み重ねで人生が楽しくなれば良いし、楽しくできると思っている」といつも答えていたが、最近はここからもう一歩踏み込んで「そもそも自分は10年後に予定調和な人生を生きていたくない」と考えていることに気づいた。
長期目標をもってそこに対して努力すること自体は、目標を達成するためには正しく、またなんとなく格好良い生き方だ。
しかし、長期の目標を決めるということは、遠い未来の自分の在り方を固定するということでもあり、予定調和な人生に自分でしようとしているような感覚がある。
それは良い悪いではないが、自分の10年後の未来は、自分が予測もつかないような自分になっているのが一番楽しいと考えている。常に新しい景色をみて、未知の体験をずっと続けていたい。それが自分のやりたいことである。
(あとまあ、そもそも、長期目標がなくても日々全力で生きているし、別に長期の目標がいらないみたいな側面もある)
目の前の日々を全力で生きて、全力でどこかに向かって、その結果としてどこか知らない場所にたどり着いていたら最高だ。
自分の旅のスタイルもそれに近い。あんまり細かく予定を立てずに、ざっくりと目的地だけ決めて、あとはその日の気分で行く場所を決める。街を歩いていて「こっちの道を歩いたら面白そうだな」と思ったらそっちに歩いていく。
そういう旅が好きで、それは人生でも同じなのかもしれない。
おわりに - 人生は日常と非日常でできている
非日常の話ばかりしてしまったが、日常が大事じゃないわけではない。
むしろ、自分の本質のもう一つは、日常の方にあるとも思う。ひたすらに日常の中で努力を積み重ねて研鑽して、そこで得た力で遠いどこか、すなわち新しい景色をみるような生き方をしてきたように思う。いやそう思うと、非日常を追い求めるための日常なのかもしれない。そして、そんな日常も自分は好きだ。
非日常と日常を繰り返して、未だ見ぬ景色へと辿り着けると良い。そんなことを考えている。